<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom" version="2.0">
 <channel>
  <title>all replies to ubq6jr.sa.yona.la</title>
  <link>http://ubq6jr.sa.yona.la/</link>
  <atom:link href="http://ubq6jr.sa.yona.la/rss" rel="self" type="application/rss+xml"/>
  <description>all replies to ubq6jr.sa.yona.la</description>
  <language>ja</language>
  <ttl>120</ttl>
  <pubDate>Fri, 17 Apr 2026 10:56:56 -0000</pubDate>
  <item>
   <title>「いろんな人がいる」</title>
   <link>http://zig5z7.sa.yona.la/1064</link>
   <description><![CDATA[<p>「故に、自分とは違う考え方の人もいる」</p>
<p>ここまではほぼ全員そう思っている、と思います。</p>
<br />
<p>問題はここからで、</p>
<p>「ということは、『自分とは違う考え方の人もいる』とは思っていない人もいる」</p>
<p>までを実感を持って理解しようとしてみよう、とは考えない人。</p>
<p>が意外といるように思います。</p>
<br />
<p>すき/きらい/わかる/わからない　は、もう、わかんないです。それはもう、しょうがない。</p>
<p>そういう人とぶち当たってしまった時、最終的には、ただ眺める、この人とは同じ平面上にいないんだ、自分とはねじれの位置にあるんだ、絶対的な基準はないんだ、と思うしかない。</p>
<br />
<p>でも、ある事象について、それを自分の価値観に照らして考えた時に、それに対する自分にとっての答えがひとつでしかあり得ない場合、そこに絶対的な基準があり得るのかを冷静かつ客観的に判断するのは難しいなあ、と思うことも、やっぱり、よくあります。</p>
<br />
<p>数学が好きな人はそういう面で好きなんだろうな。前提が正しくて論理が正しければ結果は常に正しいから。</p>
<p>もっとも、<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%AB%E3%81%AE%E4%B8%8D%E5%AE%8C%E5%85%A8%E6%80%A7%E5%AE%9A%E7%90%86">そういうこと</a>考えすぎるような<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%AB#.E7.95.A5.E6.AD.B4">人</a>は大変だろうなとも思う。</p>
<br />
<p>以下蛇足。</p>
<p>ノイローゼ的三段論法。</p>
<p>大前提：全ての誤った三段論法は少なくとも1つの規則違反を犯している。</p>
<p>小前提：この三段論法は少なくとも1つの規則違反を犯している。</p>
<p>結論　：故に、この三段論法は誤っている。</p>
]]></description>
   <pubDate>Thu, 01 Jul 2010 02:13:43 +0000</pubDate>
   <guid>http://zig5z7.sa.yona.la/1064</guid>
  </item>
 </channel>
</rss>
